落語のような古典芸能を競う寄席でのイロモノは・・

総じて歌舞音曲と称され、漫才・声帯模写やコントもふくめ亜流の域にあり続けていた。
この時間帯に寄席弁当を食べ飲み物でノドをうるおし、生理的欲求を満たすべく席を離れたりしたのを、東京・下町で暮らした半世紀余で知り抜くひとりだ。
そのあいだに、いわば亜流が本流を乗り越える逸材が次々と自身の切磋琢磨から登場し出す。
たとえて、渥美清でありビートたけしだった。
彼らに通底したのが軽快なリズムとテンポのよさに加え、時局認識をむさぼり喝破する鋭い時代感覚で、風刺が持つ痛がゆさに尽きる。
学生時代のアルバイトで地方回りの各種ショーの舞台監督を務めた永六輔は、ライトの当て方ひとつで暗めの場内の心が読めたという。
さぞ個性が磨かれたはず、と想像できる。
それだけではないけれど、ここ数年来のいわゆる「お笑い芸人」の高学歴化も、それの流れを背に受けている。
集団的自衛権行使容認の閣議決定を経て、これからが報道情報もエンタメも稀代の正念場。
言葉を選び言葉を拾いあげ、ある場合には言葉を棄て去る勇気も奮い起こし、真摯な国民感情と向き合うことを各界にお約束させていただく。

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